昨年、10年ぶりの再開の生徒さんがいたが、今年は、20年ぶりの再開だぁ~!!!!
ご主人の引退を期に、お仕事場を取り壊す際、多量の色ガラスを発見!必要なだけ、切り売りしているので、そんなに残っていたかと、びっくりだったが、まあ、おっきいの特にパネル作ってたからなぁ…もったいないっしょ!というわけで、再開。
まずは、工具の点検から。楽しみじゃー!
さ、今産休で、休んでる生徒さんたち、何年後に復活でしょう!?
息子の帰省、バスで帰らすところなのだが自転車の調子が悪いとかなんとか。
こっちで使ってるのと交換してやろうとついでに車でむかえに行く事に。
そしたら、油さしたら直っちゃったんだって。でももう予定してたので、自転車は積まずにむかえには行くという本末転倒な事態になってしまった。
ま、うまい焼肉屋が近所にあってそこも予定の内なんだけどね。
で、一泊してちょこっと京都観光してきた。
行ってきたのは伏見稲荷神社。娘が新撰組好きでリクエスト。
電車の駅も神社風。赤い頭の女、娘です。小心者のくせになりは派手。
像によってくわえてるものがちがうんですよ、知ってましたか?
稲穂だったり、巻物だったり。
それはもう延々と。一山歩道がめぐらされてて小さい祠がいっぱいあって、ずーっと鳥居でかこわれてる。
このあと宇治にもまわるつもりだったのに娘がケイタイを息子の下宿に置き忘れたのが発覚。とんぼがえりでまた園部(京都にして京都にあらずの田舎町)へ引き返し、そのまま帰路についたのでした。
そんなに怒りもせなんだのにやたらヘコんでた娘。そう気に病むな。
でも、だいぶ成長したと認めてたのに、そそっかしいとこはかわってなかったな。もっと注意しなさい。
今朝、母が工房の前の鉢植えに水をやろうとしたら、なんか、様子が、変なのに気がついた。
鉢が、足りない!
これから、今にも花をつけそうな、ちいさな鉢だ。それは、近所の散髪やのおじさんが、わざわざ株分けしてくれた花の鉢だった。去年は、まだ小さくて、わたしもタラ坊も大好きな花だったので、今年は、花をつけるかと、楽しみにしていた。
前は、緑のうろこ柄の陶器の鉢植えを持っていかれた。これにも母は、そうとうがっくりきた。
花どろぼうには罪が無い。というのは、うそだ。大切に育てた人の大事な想いまでもっていってしまう、相当な罪だ。
東雲公園の回りは、花を愛でる家が多い。そして、鉢を盗まれる話もよく聞く。
朝早く散歩する人も多い。公園にくつろぎにくる人も。誰の仕業だろうと訝るのも気分悪い。盗んでいった、鉢植えには、そういった、育てた人の無念が、くっついていっているし、盗まれた花の哀しい気持ちもくっついていってるような気がする。植物も、感情のある生き物だから…
簡単に盗んでいくような人が花を大切に育ててくれるとは、思えない。誰もみてないようでも、おてんとさまが、見ているよ!
花泥棒は、りっぱな窃盗ですから!
バーナー教室のとある生徒さんにベーグルをもらった。
ベーグルってなんか固いだけのぱさっとしたパンというイメージしか持ってなかった。
朝食に食ってみた。
「う、うまし。」
もっちりしてぱさつきもなく今まで食ってたやつとはまるで違う。
これだ、これがほんとのベーグルだ。
どこで売ってるのかすぐおしえてもらって、もう2回も買いに行った。ちょっと遠いお店にもかかわらずである。そのくらいの値打は十分ある。
棗さん、ほんとにありがとう。朝食がシアワセです。
友人のすばらしいHPが陰湿なネット攻撃によって閉鎖に追い込まれた。
非常に腹立たしい問題だ。
友人には何の落ち度も無く一方的な物言いのコメントが多数入ったらしい。
いったいどこのバカヤロ様がそういう事をして喜んでいるのだろうか。想像するだに気持ち悪いものを感じる。
要はねたみ、そねみの類なのだろう。友人の作品はそれはもう素人の域をこえたスッゲーもの。それに対していちゃもんをつけているらしい。
まったく面倒な世の中になってしまったもんだ。
ネットは便利で有用だが、こんな一面ももっている。「ブログ炎上」が最近ニュースになっていたが似たようなことが身近におこるとは・・・。
自衛の方法がないってのがまたやっかいだよな。
昨日、「世の中は狭い」定説にそってまた、いろんな話が、耳にはいってきた。ここしばらくこの内容の情報が少なかったので、神様が、「もう、気にせんでいいよ」と、ほおっておいてくれてたんだと、思っていた。
でも、ひさしぶりに、このての話を聞いても、前聞いたときと、わたし自身の受け取り方が変っていた。
ひとつは、このところの、とんぼ玉の専門雑誌に載っている、とんぼ玉作家Kさんのぱくり問題提起発言記事を読んだ事、今年来た年賀状に、おそらくは有名な方のワークショップに参加して作られたと思われるランプが使われていて、そのワークショップを主催したところに訪ねると、「え?」という反応。ステンドのパネルにも、ぱくりが、写真から明るみに出て、デザインした人が、びっくりしたいう話をしてくれた。
盗作(ぱくり)を著作権の侵害をなんともおもわない、それが、悪い事だと意識していない、著名なもののぱくりは、だめと思っていても、ちいさなコミュニティーのぱくりは、なんとも思わない、ましてや、隣人のものなんぞ!いかにも、主婦の趣味的な発想は、どこかしこにあふれている。
それは、いい。主婦の趣味ならば。
それが、写真になったり、HPにUPされたり、作品展に出品されたり、販売されるところに問題があるのだ。
で、昨日感じたことは、親愛なる友人の静かな口調を受け止めながらこう思った。「自分で創造できない人にかぎって、人の創造したものをパクルことに無神経なんだ」と。
自分で創造する人は、完成するまでの苦労と完成した喜びを味わっている。だから、それをぱくられたとき、耐えがたい悔しさを感じる。
でも、創造できないひとは、苦労も喜びも知らないので、簡単に人の宝を奪い取れる。創造できないから、ぱくることしかできず、それを問題視することが、理解できない。
同じステージに立つ事が、いかに、ばかばかしいことか!
クリエーターは、どんどん新しいことをクリエイトし続ける!
本物のクリエーターをみる目を養いつつ、そういう人たちと同じステージで動けるよう自分を磨いていく。以前の著作権侵害にかりかりしてからいっとき時間がたってからの、友人の話。「すこし、成長しているよ。」という神様のメッセージのようにも思えた。
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